長女と二人で車でお出掛けした時のこと。
遊び疲れて、クルマの後部座席でスヤスヤ眠る娘。
クルマの中で一人、ぼーっとしていると、
ラジオから、聴き覚えのある歌詞が耳に入ってきた。
僕の人生はあっけなく終わるじょ
何か聴いたことあるんだけど…。
君のおでんには「×」はなかったじょ
すべてを駄目にしてしまう「×」はなかったじょ
絶望の「×」はなかったじょ
あ、あれだ。
ハタ坊のおでん、だ。
ハタ坊のおでん(叫ぶ詩人の会)
時はさかのぼり、1990年、昭和から平成に入り、高度経済成長期を終えた日本は、バブル崩壊へと向かった、まさにその混乱の最中、一組の異端のアーティストが現れた。
叫ぶ詩人の会
その人たちだ。
叫ぶ詩人の会は、
詩の朗読と、パンクロックの融合
という、当時の日本には無かったスタイルで、一世を風靡したアーティスト集団である。
グループの中心は、ドリアン助川。
当時、メディアへの露出も多く、管理人もよくテレビで拝見したのを覚えている。
当時のドリアン助川氏は、金髪でロン毛。
管理人も子供ながらに変なおじさん、というくらいにしか思っていなかった。(ドリアン助川さん、大変失礼な表現をしてすみません)
しかし、この唄は、なぜか心に残っていた。
20年以上経った今でも。
ハタ坊のおでん
今も、当時の日本とよく似ているのかもしれない。
と、ふと思った。
経済は一向によくならない。
経済格差は増すばかり。
ひと握りの権力者が、その他の弱い立場の人々を顧みない。
心がすさんでしまいがちな環境。
そんな中、再びラジオからこの唄が流れてきた。
ハタ坊が握りしめたおでん
丸と三角と四角だけの
あの寂しげなおでん
絶妙な描写だと思いました。
丸と三角と四角だけの「おでん」に、表情が加わったのです。
「あの寂しげなおでん」
僕の生きてきた日々を
おでんに例えるなら
丸と三角と四角と
それだけの組合せでしょう
ここでも実にシンプルに、それでいて深いメッセージを、
この短い文章に込められています。
私たちの人生なんて、〇と△と□、その組合せの連続に過ぎないのです。
生まれてから28年目
叫ぶ詩人の会を作ったじょ!(丸)
全然売れないじょ!(三角)
お金がないじょ!(三角)
売れないことをストレートに唄う。
そして、お金も無い。
あ、それ自分のことかも。
そう思えました(笑)
生まれてから70年目
叫んでいる時に、心臓が止まっちゃったじょ!
(四角)
死んでも×はつかない。
僕の人生はあっけなく終わるじょ!
最後によみがえるのは
ハタ坊のおでんだじょー
ボクは君にあえて良かったじょー
なぜなら ハタ坊 君のおでんには
バツはなかったじょ!
すべてをダメにしてしまうバツはなかったじょ!
全てがこの中に凝縮されています。
バツが無い人生
今が幸せなことに気付かせてくれる、とても心に響く句です。
望みを絶たれた夜も
死にたいと思える日々も
丸と三角と四角と
それだけの組合せでしょう
あくまで〇と△と□だけの組合せ。
それだけなんです。
「ハタ坊のおでん」の大きな間違い
最後に、この唄には、大きな間違いがあります。
お気付きでしょうか。
そう、おでんを持っているのは、原作の「おそ松くん」では、
ハタ坊ではなく、チビ太
なのです。
当時、このことについて、作詞のドリアン助川氏は、だいぶ後になって間違いに気付いたことを明かしています。
そして、その間違いをあえてそのままにし、「おそ松くん」の原作者である、漫画家:赤塚不二夫氏へ許可をもらいに伺うと、赤塚氏は、
これでいいのだ
と言ったそうです。
そして、間違った設定の「ハタ坊のおでん」をCDジャケット用に、書き下ろしてくれたようです。
いい話だ。
まとめ|ハタ坊のおでんに学ぶ
「ハタ坊のおでん」いかがだったでしょうか。
20年以上前の曲でありながら、今もなお心に響く曲、というのは、そうそうあるものではありません。
ふとした時、ラジオから流れてくる懐かしい曲があったら、ちょっとだけ耳を傾けてみてはいかがでしょう。
もしかすると、運命的な再会となるかもしれませんよ。
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ハタ坊のおでんは、ここから聴けます↓
https://www.youtube.com/watch?v=GIWPr51jhQE
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。